§序段
私は、フリーランスの歯科衛生士。そう言えば聞こえがいいが、内情は日雇い肉体労働者といったところ。”来るもの拒まず、去るもの追わず”をモットーに仕事を始めて10年の歳月が経った。
「徒然なるままに日暮らし、鏡に向いて歯から歯茎に移りゆく歯頸部を、そこはかとなく磨いていると、あやしうこそものぐるほしけれ・・・」
そんな心情を書き綴ってみようと思う。
§第一段
”日雇い”としての初仕事は、1.6歳児健診での歯科保健指導であった。親子合わせて50人程度の集団指導だ。初日、媒体や資料を用意し、勇んで出かけた。
しかし順調に話ができたのは束の間、すぐに子どもが一人泣き出し、次々と伝染していく。母親たちはイライラしはじめ、私はパニックに陥った。後は悪夢の30分が過ぎていった。
2日目、「前回は集団の質が悪かったのだ」と気を取り直し、出かけていったが、結果は同じ。10分もすれば集団はざわめき、誰も私の話を聞いていない。「何とかしなきゃどうしよう、どうしよう・・・」気がつくと、私の口は歌っていた。
「♪おいでおいで おいでおいで パンダ、パンダ・・・・・・・・・・・・・」
驚いたことに、集団は一瞬にして静まった。子どもたちは皆私に注目し、体でリズムを取っている子までいる。アンコールの声もないのに、私は思わず”糸巻 き巻き””トントントントン髭じいさん”まで歌った。母親たちも当然のように一緒に歌い、膝の上の子どもと”糸巻き巻き”しているではないか! このただ ならぬ気配を察して保健婦までのぞきに来た。しかし、歌を口ずさみながら私は焦っていた。「この状況をどう歯科保健指導につなげよう・・・」ええい、まま よ!
「皆さん、子どもは歌が大好きでしょう。今、その威力を体験したと思います。仕上げ磨きする時も、お子さんの大好きな歌を歌ってあげてください。押さえつ けて歯磨きする話も聞きますが、それは親子双方にストレスですよネ。どうせなら、楽しい歯磨きタイムにしてください」
と締めくくった。わが子をあやすとき、しばしば歌に助けられてきたが、25人のぐずる子どもにもこれほど有効とは、歌は実にすばらしい。