入れ歯の歴史は古く、紀元前にまで遡る。
現存する日本最古の入れ歯は、1530年代(室町時代)に作られたもの。
仏像や能面の彫刻技術が生かされた、「木床義歯」と呼ばれた入れ歯は
咬合もよく食事の際にも十分使用できたようです。
今回のタイムスクープハンターは、1824年江戸、「入れ歯師」の清志朗を密着取材。
腕が良く人気がある清志朗は、大事な顧客から期限4日で総入れ歯を作るという
無茶な注文だったが引き受けた。
蜜蝋でかたを取ってそれを見ながらアゴに合うように土台となる木を削っていく。
紅合わせと言って、口の中に紅を塗って入れ歯を入れる。出っ張っているところは赤くなるのでそれを削ってさらに微調整する。現在と義歯調整と基本的には同じですね。
歯の部分はろう石や象牙その他の動物の骨などが使われ、土台となる部分は柘植の木などが使われていた。奥歯の部分には金属の鋲を打ち込み良く噛めるようにしていたのです。
きっと、世界№1の技術でしょう。
同じころ、アメリカやヨーロッパで作られていた入れ歯は、食べるという実用性ではなく
見た目重視の、食事ができない代物だったといいますから、すごいぞ日本!!
<ちなみに、1ドル札の不機嫌そうなショージ・ワシントンの顔は入れ歯が原因?!
歯科医師会のサイトで雑学を見てみよう>
さて、江戸には清志朗のような「入れ歯師」がたくさんおり、
それを親分さんが取り仕切っていたのです。
しかし、清志朗は値段をちょっと高くして、元締めの親分には勘当されます。
<当時の入れ歯は、現在のインプラント暗いのお値段くらいだとしたら、お金持ちしか使えない。いつの時代も、貧乏な人は高額医療の蚊帳の外>
清志朗は私利私欲で入れ歯の値段を高額にしたわけではない。
貧しい人のために、歯磨き粉や歯木<今の歯ブラシ>を渡し歯磨き指導をしたり、
や無料診療するために使っていたのです。
つまり、庶民の虫歯に対する認識は殆ど無く、歯が痛むと呪いや願掛けで治そうとする程度のものだったから、ボランティアで口腔衛生について啓蒙活動をしたわけです。
歯科衛生士のルーツじゃないの!!
老 舗料理屋の初老の女将が、お見合いのために入れ歯を注文した。
清志朗の弟子であり佐吉は、年齢から既婚者だと思って、お歯黒の入れ歯を作ってしまうという事件が起こる。それを、勘当になっている清志朗が大至急白い歯に直したことで、医件落着するというお話し。
その後の清志郎は引き留める親分と佐吉の元を出て、全国を旅しながら、歯の病気で困っている人々を助け続けたというから、すごいよね!
知識と技術だけじゃなく、人間的にも!!
また、江戸時代の入れ歯は世界一の精度だったということも、嬉しい!!
ところで、北海道大学(札幌農学校)にある、クラーク博士が残した有名な言葉
Boys be ambitious !
Be ambitious not for money or selfish aggrandizement ,
not for that evanescent thing which men call fame .
Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be .
少年よ、大志を抱け。
大志とは、お金や利己的な欲のためでも、
名声と呼ばれる空しいもののためでもない。
人間としてあるべきすべてを達成するのための大志を抱け。
若い、歯科技工士さんも、歯科衛生士さんも!