『ドクター』(The Doctor)1991年製作(123分)は、
1988年に発表された、医師であるエドワード・E・ローゼンバームの実際の経験を
もとに書かれた”A Taste of My Own Medicine”を映画化した作品です。
主人公のマッキーは成功した外科医でしたが、癌を宣告され、自らが患者になってしまします。つまり、医師から患者と言う、立場の逆転です。今まで医療者の側から見てきた医療現場に対し、様々な疑問を感じるような経験をするのです。
そこで、妻と恋人との間で揺れ動く心の葛藤を交え、
マッキー自身が人間として一つの壁を越えます。
医療はどうあるべきかという主題に対し、
人間的に成長した医師として再び医療現場にもどり、
答える意欲作です。
根底にあるのは<愛>!
歯科衛生士概論の授業で、毎年学生さんと一緒に『ドクター』を観ています。
心臓医ジャック・マッキー(ウィリアム・ハート)は、音楽をかけて歌いながら執刀する。インターンたちに「患者に特別な感情は抱くな」と教える彼は、意識 のない患者にまるで聞こえるかのように話しかける耳鼻科のブルムフィールド(アダム・アーキン)を軽蔑している。彼の友人は医療ミスで訴えられたことを ジョークにするカプラン(マンディ・パティンキン)だった。豪華な車を持ち、凝りに凝った邸宅を改装させるジャックは、妻のアン(クリスティン・ラー ティ)の帰宅時間や息子ニッキー(チャーリー・コースモ)の学校のパーティのことを忘れても気にかけない。しかしある日、車の中で彼は血を吐いてしまう。 診断は喉頭部のガンだった。翌日、治癒率80%の放射線治療が始まった。ジャックは患者として待合室で長時間待たされ、医師の都合で日時を変更され、誤っ て浣腸をされた。彼は末期のガン患者ジューン(エリザベス・パーキンス)と知り合う。彼女は高価な検査を受けられず、病気を知った時には手遅れだったの だ。ある日、ジャックは衝動的にジューンを彼女の夢だったインディアン・ダンス・ショーに誘う。遥かネヴァダ砂漠を横断中、ジューンは車を止めさせた。 「今の時間を大切にしたいの」スカーフを取った彼女の頭の毛は全て抜け落ちていた。2人は湖畔でダンスを踊った。ジャックは事務的にしか患者に接しないレ スリーから、ブルムフィールドに執刀医を替え、カプランにカルテ改ざんを告発することを伝えた。それは、彼自身の責任が問われることも意味していた。 ジューンは昏睡状態となり、死んだ。手術は成功したが、ジャックは一時的に声を失うこととなった。安心はしたものの彼へのわだかまりが消えず荒れるアンに ジャックは筆談で「君が必要だ」と繰り返し訴えた。彼女が与えた声代わりの笛のあまりの騒々しさにアンも遂に笑顔を見せる。その時、彼の口から声が出た。 「愛してる」。やがて医師として復帰したジャックはジューンの最後の手紙を受け取る。動物に畑を荒らされるのを嫌った農夫は柵を作りかかしをたてた。やが て寂しくなった農夫が手を挙げていくら呼んでも動物は戻ってこない。農夫をかかしだと思ったのだ。「ただ、手を降ろせばいいのよ」。屋上でそれを読む ジャックの周りに鳩たちが集まった。<ムービー ウオーカーより>
医療従事者として私たちは患者さんにどんなふうに接しなければいけないか、
優しく親切丁寧に、思いやりを持って、患者さんに身になって・・・・と
言うのは簡単です。
しかし、どんなに頭のいい人でも、なかなか実践できません。
患者の気持ちは、専門家になったとたん、見えにくくなるようなところがあります。
歯科医院の待合室での不安な気持ちは、
歯科衛生士より学生さんの方がずっと共感しているのではないかと思います。
そんな自分自身の反省と、患者の気持ちを忘れないでほしいという願いから
この映画を観ています。
また、倫理について触れるさいも、
以下のような言葉の理解の助けになる場面があります。
<医療倫理の四原則>
自律尊重原則・・・・自律的な患者の意思決定を尊重する
無危害原則・・・・患者に危害を及ぼすのを避ける
善行原則・・・・患者に利益をもたらす
正義原則・・・・利益と負担を公平に配分する
<インフォームド・コンセント>
<セカンドオピニオン>
<インフォームド・チョイス>
<QOL>