反骨のジャーナリスト逝く むのたけじさん 101歳、
「たいまつ」発刊 戦争の絶滅、訴える
「戦争の絶滅(ぜつめつ)」を訴(うった)え続けた101歳(さい)の現役(げんえき)ジャーナリスト、むのたけじ(本名・武野武治)さんが21日、老衰(ろうすい)のため亡くなった。反骨のジャーナリストがキミに伝えたかったこととは−。
戦争に「加担した」責任
むのさんは秋田県六郷町(ろくごう)(現在の美郷(みさと)町)出身。旧制横手(よこて)中学(現在の秋田県立横手高校)時代に教師だった作家の石坂洋次郎(いしざかようじろう)(1900〜86年)から国語、修身を学んだ。東京外国語学校(現在の東京外大)を卒業後、報知(ほうち)新聞社を経て朝日新聞社に入社した。
戦時中の1年間、従軍(じゅうぐん)特派員として中国、インドネシアで取材。帰国後、社会部記者として日本中枢部(ちゅうすうぶ)の動きを間近に見た。終戦を迎(むか)えた1945年8月15日に「戦争に加担した新聞社の責任は免(まぬか)れない」として退社した。戦争への協力を組織全体の責任とは考えず、その一員として自らの責任を痛感して責任を取った。
戦争は「止めようがない」
むのさんは3年後の48年、秋田県横手市で週刊新聞「たいまつ」を発刊した。反戦・平和や憲法などについて鋭(するど)い筆致(ひっち)で書き続けた。
「平和憲法の最後の敵は、軍国の復活を叫(さけ)んで平和条項(じょうこう)の廃棄(はいき)を求める勢力ではない。『あくまで憲法の精神を重んじて』『あくまで憲法の枠内(わくない)で』とあくまで優しい声で語りながら、憲法の骨を抜(ぬ)く事実を積み重ねていく勢力である」。78年に780号で休刊した後も、講演や著書を通じて一貫(いっかん)した主張を展開した。
一方、2008年の毎日新聞インタビューでは「退社を踏(ふ)みとどまり『本当の戦争はこうだった』と読者に伝え、おわびすべきだった」とも。今年5月の憲法記念日には、護憲集会に車椅子(くるまいす)で登壇(とうだん)して「戦争は始めたら止めようがない。とことん頑張(がんば)り抜こう」と訴えた。
むのさんは膨大(ぼうだい)な言葉を残した。「たいまつ」の題字横に書いた短文を集大成した653ページに及(およ)ぶ著書「詞集たいまつ」(評論社)から一部を紹介(しょうかい)する。
「踏(ふ)み絵(え)を強制されたら、どうするかって? きまっているじゃないか、二度踏(ふ)んづける。絵を踏んづけ、踏み絵そのものを踏んづけてやる」
「良心は道徳をつくるかも知(し)れないが、道徳が良心をつくる保証はない」
「逆境こそが学校である。但(ただ)し、それが学校だったとわかるのはそれを卒業したあとである」
「青年を社会の宝として考えたいなら、社会が青年の宝になっていなければならない」
「さびしいときにそのひとを思えば慰(なぐさ)められる、そんな友はほしくない。怠(なま)けるときにそのひとを思えば鞭(むち)うたれる、そんな友がほしい。友のために、私もそういうものでありたい」
15歳のニュース
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