愛の宝石箱  (沖 義郎先生)

地域歯科保健を担ってきた、横綱歯科衛生士と言えば、 
思い浮かぶのは 

東の 白田チヨ さま   西の 金集百合子 さま!

その、金集百合子さまと 出会ったのは、モンゴルの大草原でした。
金集さんはネコの会にも、よく参加されていました。
ネコの会では、金集さんを次のように紹介していました。

 「・・・歯の健康教育あれこれ」と題して高知市で開業されており,
自ら歯説法師を名乗りむし歯予防を説いてまわる
 沖義郎先生のお話です。・・・・
 ・・・金集百合子さんが公衆衛生にめざめたのは,このむし歯説法のおかげとか・・・」

お二人 (沖先生&金集さま) とも、さすが坂本竜馬を生んだ土佐出身と思わせる
ポリシーとパワーがみなぎる、歯科医師 & 歯科衛生士 コンビでいらっしゃいました。

今日は、 沖義郎先生に教えて頂いた、素晴らしいお話 を紹介します。

沖先生2

先生の講演会では、いつも奥様がスライド係でした

沖先生の楽しくわかりやすい、そして深いやさしさがにじみ出る講演を聞かせて頂きました。
その中で特に、 「愛の宝石箱」  は、感動するお話で、
私はこれを若いお母さんに伝えてきました。子どもの口にうっすらと姿をあらわす、下顎のa a 。
これは母親にとっては、どんな高価な真珠にも勝る宝石です。
この宝石は、次々に増え・・・そして、役割を終えると、子どもの口からこぼれおちる。
その、乳歯をすべてとっておき、きれいに並べて、手作りの箱に並べたのが
『愛の宝石箱』です。
この、真っ白の宝石は、毎日お母さんが磨きあげなければ作ることができない。
また、食生活を含め、あらゆる育児のたまものであろう。
沖先生は、 「子育ては、歯育て」 「12歳は歯の成人式」 とおっしゃる。

さて、写真の宝石箱は、沖先生の「虫歯説法」を聞いたお母さんが感動したことに始まる。幼い我子(みずほちゃん)に紅茶の空き箱を与え、最初に抜けた下顎 a を 納めるよう言い聞かせ、子どもが素直に、約6年間にわたり、その箱に抜けた年月日を記入していった。最後の 上顎 e  が納められた日が、「歯の成人式」。     
その歯を、奥様手作りの箱に沖先生がきれいに並べたのが 「愛の宝石箱」 。       
沖先生は、、手記で次のように語っていらしゃる。

自筆で「みずほの歯」と書かれた小箱を自慢そうに持って、私の診療所を訪れ手渡された時は 暫く 夫婦共々感動。乳歯を通じて「母と子の愛の絆」が想像され、と同時に                             「虫歯説法」半世紀を経て、「愛の宝石箱」に花開くのを目の前にして嬉しく、                     傘寿を迎え 老いの生き甲斐を噛みしめております。

  まさに、歯科医師の鑑、歯科衛生士の鑑・・・・・・
いえ、職業などを超えた、人間としての鑑です。

 沖先生が、お亡くなりになったことを、娘さんから伺いました。
心から、ご冥福をお祈り申しあげます。合掌

歯科衛生士として、この「愛の宝石箱」 を、多くの皆さんにお伝えし、
「愛の宝石箱」をつくることを、支援していきたいものです。
しかし、我が家の「愛の宝石箱」は、歯が足りません。<どうも子どもが食べたらしい>
おまけに、アマルガム充填が施されています。
でも、いいのです。それでも私と子どもにとって 「愛の宝石箱」 です。

たとえ、まっ黒けの歯が並んだ 「愛の宝石箱」 であっても、
それにやさしく寄り添うことのできる歯科衛生士であり続けたいと願います。
難しいですよ  
患者さんが受け入れてくれないと、できませんものね・・・

愛の宝石箱

愛の宝石箱

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