友人から、一緒にお茶を飲みませんかと誘われました。
お茶とは、あの<奇跡のりんご>をお茶にしたものでした。友人もこの一回分を頂いたそうで、一人で飲むのはもったいないからと、誘ってくれたのです。正直、私はお茶としては普通のお茶か紅茶の方が美味しいと思いました。でもあの<奇跡のりんご>ですから、有難く頂きました。
以前、木村秋則著『すべては宇宙の采配』東邦出版を読みました。お茶のご縁で、もう一度読み直しました。
(前略)しかしわたしはこう思うのです。この世界で人間が理解できること、理解していることなんて、ほんのわずかにすぎないと。(中略)辛酸をなめて、次から次にいろんなやり方を試しては失敗して、ようやくある程度の形が見えるようになって振り返ってみれば、かつて正しいと教えられていたことは、決して正しくなかったことがわかりました。そしてわたしが身をもって知った知識だけが、わたしにとっての新たな常識となり、その常識は私だけのものではなく、志を同じくする農家の、新しい共通認識として広がりつつあります。
わたしは「大事なことは、目に見えるものや、地上に出ているものだけではないんだ」ということに気がつきました。地中には表に出ている作物の、少なくとも2倍以上の根が張っています。土の中には2倍以上の世界があるのです。 目に見える地上部だけを見て、右往左往し、必死になってりんご作りをしているとき、わたしにはそれがわかりませんでした。
しかし、土の大切さに気づいて気を配るようになってから、りんごの栽培はぐんぐんと前に進み始めました。
目に見えていることだけ見ていても、本当のこと、真実はわからないのです。それは無農薬・無肥料の自然栽培に限ったことではありません。人間もそうです。大事なことは、目に見えない分にあります。
(中略)わたしの畑に1立方センチメートルあたり30億個いるといわれるバクテリアは、顕微鏡を使ってもその全貌を知ることは不可能です。引っこ抜いた根の姿も、地下部にあるときの状態とは違う形でしか見ることができず、真の姿を知ることはできません。
人生も、今見えている部分、隠れている部分、この2つが1対2以上の割合で、存在するのではないでしょうか。
不可能というのが常識であった、リンゴの無農薬栽培に成功した、木村さんの自然とかかわる人間の在り方、つまり人間の文化についての考え方に大変共感しました。<宇宙人に関することは私には理解できませんでした。>
さて、『藁一本の革命』の福岡正伸氏の自然農法は、草なども抜かずまったく自然に手を加えず行う自然農法です。一方、木村氏は「人々はよく『生かされている』とう考え方をします。おごる気持ちがない謙虚な捉え方で美徳ではありますが、自然に対面したとき、『生かされている』という受け身だけでは、人は生きていけないことを知らなければなりません。」と語っています。つまり福岡氏と異なるところは、人間の手をかけるところにあります。
その方法が、効率化を図るために自然を傷つけるような化学肥料や農薬を使うのではなく、自然の土に働いてもらうような方法をとるということです。
ここに農業と言う人間の技に、特徴的な3つのあり方を見ることができます。
1つ目は、福岡氏の、天然自然的農業。
2つ目は、木村氏の、作物に自然の力がよく働くように、手を入れる農業。
3つ目は、現代的な効率のよい、化学肥料農薬を使う農業。
これって人間の生活の在り方のも当てはまりますよね。子育てや教育にも通じるところがあります。歯科衛生士においては、口腔疾患の予防治療にどう向かうか、どのような歯科保健支援や口腔ケアをするか・・・
1つ目は、文化ではなく文明批判的な原始的な生活。歯科医療以前。
2つ目は、片山恒夫先生や谷口威夫先生、小西明彦・かず代先生的考え方。
3つ目は、近代の科学的な歯科医療。
現代の日本においては、2つ目か3つ目を選ぶことになるのでしょう。2つ目の手をかけると言うのは、ケアと言ってもいいと思います。人間の文化とは、手をかける、すなわちケアによって成り立っているのではないでしょうか。歯を磨いたり、伝統食を食べることがこれに当たるような気がします。薬やサプリメント、不自然な歯科治療と言うのは3つ目の歯科医療を代表するものでしょう。<簡単にひとくくりにはできませんが>
ところで、木村さんの実験によると、3番目の農法で作った作物は腐りやすいと言うことです。それを人間に置き換えると、どういうことになるのでしょうか。体格と体質を考える、また末期医療について考えるヒントになりそうですね。
私は歯科衛生士として、村氏のような考えをもった仕事をしたいと考えてきました。そして以前、このような趣旨の文章を雑誌『デンタルハイジーン』に書きました。その折には、3つ目の考え方をした歯科医院や大学の教室から、ファックス用紙が無くなるほどの抗議文が送られてきました。今も、大切にとっています。いつか、解り合えるときが来るのではないかと思っています。木村さんがそうであったように。間違っているのかな???