‘13.4.8 No16 増大号 アエラ P56 ~60
現代の肖像 で、民俗研究者の六車由美さんが紹介されていました。
六車さんは、大学教員を辞めて介護の世界に飛び込んだのですが、
そこは、大学でのヒールドよりも「宝」に溢れていたと言います。
六車さんのことはまったく知らなかったので、興味津津。
さっそく著書を取り寄せ読んでみました。
シリーズケアをひらく『驚きの介護民俗学』医学書院 2,100円
アマゾンから送られきて、<シリーズケアをひらく>のシリーズだと知りました。
どれも大変共感できるこのシリーズは、私にとって大切な本ばかりです。
民俗学で大学の準教授であった六車さんは、サントリー学芸賞を受賞した方です。しかし、大学を辞め、老人ホームの介護職員として働き始めます。そこで、利用者さんと関わる中で、皆さんが思い出す民族事象について聞き書きするようになります。それを「介護民俗学」と呼び「民族研究者が介護現場に身を置いたときに見えてくる物は何か、そして民俗学は介護現場で何ができるのかを考えて行くために私が掲げた名称」(P20)と定義しています。その手法で利用者さんから聞いた話を「思い出の記」にまとめ、本人や家族に渡していることも紹介されています。素晴らしい仕事だと、大変共感をもって読むことができました。
六車さんは最後に、民俗学を学んだ学生の働く場として、介護現場の可能性を考えています。しかし、その手腕を発揮して活躍する余裕のない、現行の介護現場におけるジレンマについても語っています。そして、日本の介護について、以下の野千鶴子の辛辣な言葉を紹介している。
「ケアワーカーの賃金はなぜ安いのか」
その背景には、介護報酬を低く抑える政府と、労働者の賃金を上げようとしない事業者の存在があるが、それを許しているのは、つまるところ、ケアワークの社会的評価をその程度に低く見ているという国民の意識があることを指摘している。「自分は受けたいが、自分からやりたくない労働」というのが、ケアワークの実態から浮かび上がって切る。
六車さんが「介護民俗学」として利用者さんの語りを聞きとるのは、私が口腔ケアをしながら患者さんと話すことと似ていると感じました。嬉しかったのは、私が抱いていた福祉の相談援助や回想法に対する違和感を、「介護民俗学」と対比して言葉にしてくれていたことです。しかし、この「介護民俗学」としての聞きとりも、私には違和感を感じるのです。
では、私が口腔ケアのときに大切にしている、コミュニケーションは何だろうか?
それは、福祉やカウンセリングの技法としての「傾聴」でも、「回想法」と名付けられた決まったシステムでもない。そして、利用者さんと「介護民俗学」の対象として関わることでもない。普通の人がする、たわいもない日常会話だと思うのです。私たちが楽しむおしゃべりは、何の目的もなく、あえて言えば会話するそのこと自体が目的です。それは出会った人が、相互に一瞬一瞬作り上げていく世界です。何が始まりどこに向かっていくか分からない、そんなこと考えもしない。そこに、井戸端会議の楽しみとパワーがあるのではないでしょうか?
ですから、疲れ果てていても、おしゃべりすることで元気になる!!
もちろん、口腔ケアは専門職としてのケアサービスです。しかし、それが成り立つのは、本来的な人間同士の営みとしての関係があるからでしょう。「傾聴」と言わなくても、私たちは普通に興味あることは「なぜ?どうして?」と尋ねます。そのような、当たり前の会話を大切にしたいと思うのです。もちろん、患者さんであることや、失礼のないことに気遣いをしながら関わるのは常識です。そんな会話だからこそ、口腔ケアのヒント・介護のヒントが満載なのです。たわいもないおしゃべりから、ケアのヒントを発見するのが、職種に関係なくケア―ワーカーの専門性だと思います。
『六車由美著『驚きの介護民俗学』』 への44件のコメント