人生について考える年齢になったなーと感じています。
ひとつは、娘が嫁いだこと。
もう一つは、両親の老い・病・死。
それから自分自身の年齢。
老い<笑えない不自由が満載>
同級生が定年をむかえようとしている。<早期退職した友もいる>
歯科衛生士学校に入学したのが18歳で、今年は58歳。
歯科の世界に首を突っ込んで、なんと40年になる。<忘却力が成長を追い抜き始めた>
それから それから、知人の死が次々に押し寄せてきたこと。
お正月から1月半ばまでに、身近な6人の方が他界した。
・口腔ケアを頼まれた、友人の歯科衛生士のお父さん。
血液の癌により、最後は蚊に刺された傷で、脚を切断する寸前にまで追い込まれた。
・教え子であり、同じ歯科医院で働いていた、21歳の歯科衛生士さん。
2015年の摂食嚥下リハビリテーション学会では、ポスター発表した頑張り屋さんでした。
12月の忘年会で歯科医院のスタッフと一緒にランチを食べたのが最後。
年末、脳梗塞で脳幹をやられ、ついに意識が戻らなかった。
・この<hocl>を立ち上げてくれたの親友、58歳。
パワーポイントを最初に日本へ導入した、コンピューターアーキテクトでした。
膀胱癌で病院へ行ったときにはすでに余命一か月。
「口の中が大変なことになっているので、何とかしてくれ」というメールが届き、
最後の三週間に付き合った。
そして、まわりの人間とネットを使い、やり残したことを全部やりきって旅立った。
おまけに、お葬式は日曜のバレンタインデー。最後までやってくれた感が否めない。
・訪問口腔ケアをしていた、特別養護老人ホームの3人の利用者さん。
三人とも延命治療を望まず、駆けつけた家族に見守られながら静かに旅立ちました。
そういう人生の時期なんだと、しみじみ、悲しさと、寂しさを味わっています。
これは何も私だけではありません。生きて生まれた者の歩む道でしょう。
ところで、インドには「四住期」と呼ばれる人生区分があります。
ヒンドゥー男子に適用されるもので、4つの段階を経過する理念的な人生のことです。
「学生期(がくしょう)」「家住期」「林棲(林住)期」「遊行(ゆぎょう)期」の四住期に分け、それぞれの住期において守るべき準則を詳細に規定している。
作家の五木寛之さんや、桐島洋子さんがその中の「林住期」について語った文章を読んだ記憶があります。遠藤周作さんも書いていたかも・・・
たしか、
「学生期(がくしょう)」は12歳からの人生の準備期。
「家住期」は、家庭を作り子育てする時期。
「林棲(林住)期」は、仕事と家庭のしがらみから自由に生きる。
森林に隠棲して修行する時期であるから、人生を振り返り、人間の本来性について
思索・瞑想する時期と言ってもいいかもしれない。
「遊行(ゆぎょう)期」は、一定の住所をもたず他者と関わりながら死に向かう時期。
マザーテレサの死を持つ人の家は、この時期の最後に寄り添っているのかもしれませんね。
歯科衛生士が口腔ケアをする場合、その現場で何をどう考えて仕事をするかは非常に難しい問題を孕んでいます。特に、<看取りの口腔ケア><緩和ケアとしての口腔ケア>において、ケアを担う人の在り方が問われることになります。歯科医療としての知識技術はもちろんですが、刻一刻の変化に呼応するように寄り添いながらのケアに教科書はありません。そこに、かかわる人間自身の人生観までもが、結果を左右します。このような状況で、私を助けてくれたのはF・ナイチンゲールでした。彼女の『看護覚え書』が書かれた時代は古いのですが、考え方の本質を書いた本ですから、いつも新しいと言えます。言い換えれば、目前の人のケアを担う場合、今、何をどうするべきかを『看護覚え書』の考え方から自ら考えて実践しろ!!と言うことです。自分でケアを作り上げるヒントが書かれています。看護をアートだと言う所以です。歯科衛生士の実践も、アートであると私は考えています。
仏教書・聖書・イスラム経典などが読み継がれるのは、人間の本質はこの時代から変わって居ないということでしょう。つまり、<人間の本質>、言い換えれば<人間の命の最も根源的なところ>は、時代や社会が変わっても全く変わらないと言えるのではないでしょうか。そのような深みがあるということです。歯磨きであれ、口腔機能向上であれ、人のケアに関与する人間は、自分の自我でコントロールすることのできない生老病死をどのように捉えるのかという問いを手ばさすことなく、生きていかなければならないと言うのが、6人が私に残したメッセージであった気がしています。