摂食嚥下障害のBさんの願いである「お酒(梅錦)が飲みたい」、
これを実現させたいと思った理由は、
単に口腔ケアとしての、直接訓練としてではありません。
Bさんはまだ70歳です。
しゃべれない、食べることが出来ないと知ったBさんは、
荒れて、ベッドのさくや、尿取りパットを投げつけていたと言います。
また、同じ部屋で生活している方は、認知症で
うるさく何か言い続けていたり、失禁して便まみれになっていたり・・
そして、ベッドサイドに置かれた、仏壇、テレビ、数冊のアルバムと、
わずかの身の回り品がBさんのすべてです。
口腔ケアをさせて頂いても、無気力で、じっと眼を閉じていです。
そのBさんの願いが、「お酒(梅錦)が飲みたい」なのです。
施設の職員の方も、それを叶えたいと願っているのです。
主治医の坂東先生にお願いして、許可を得ました。
吸引幾を横に準備し、
この施設は決して見栄えが良いとは言えませんが、
職員の皆さんが、入所者さんの皆さんのために惜しまずケアする姿に
思わず私も動かされるのです。
Bさんは、競艇場で倒れて救急車で搬送された・・・
しかし、こうして多くの人を動かし生きている。
また、Bさんのために働いている人も、この一瞬に満面の笑みを浮かべている。
このような一瞬は、動物には創りだせない。
このような一瞬の実現を、人間の合理的思考で説明することはできない。
このような一瞬の実現がどういうことなのか、それをきちんと言葉で説明しようとすると
「場所論」になると言うことを、
四国学院短期大学・四国学院大学・四国学院大学大学院・放送大学大学院の10年をかけて
八木洋一先生に学びました。
私たち人間が生きるとはどういうことなのか。
それは、場所論的には、
人間を超えた<いのちの働きの>の実現が、人間の<いのちの営み>と言うことです。
ナイチンゲールの看護思想も、「場所論」としての看護と言えるのです。
卒業した時先生から
「今からが、本当の勉強だ。学び続けないと、すぐ錆つくぞ。」と言われました。
先生との月2回の<ナイチンゲールの看護思想>の勉強会は、今も続いています。
一緒に勉強したい方、是非連絡下さい。
3月24日、25日はその「場所論研究会21」が、
流通経済大学竜ヶ崎キャンパスで行われます。