『真理の探究』『Suggestion for Thought by Florence Nightingale』(1)

Suggestion for Thought to Searchers after Religion Truth
宗教的真理を探究するための示唆

DEDICATION TO THE ARTIZANS OF ENGLAND.
献呈の辞    イングランドの職工たちへ

I come to you not declare the truth;
私は真理を言明するために来たのではない

I come to ask you (if subjects of moral truth have an interest with you)
私はあなたがたに求めるためにきました。(もし、あなた方が<精神的・心の>真理という主題[問題]に関心を持っているなら)

To join in seeking it with those capabilities with God has given to us.
神(いのちの働き)が私たちに与えてくれたその能力(いのちの感覚・統合感覚)
で共に捜し求めることに加わることを。

 注)本田:Godや神 という言葉は、意味するところが分かりにくいです。
      八木先生曰く:<God><神>は、名詞ではありません。名詞ではなく、動詞です。
                何か、実体があると理解したら本質をつかめませら注意が必要す。         本田:挿絵に出てくる、白い衣装を身にまとい、髭の長い男性ではない<笑>   
      八木先生:働きです。神の働きです。働きとしての神。
  本田:実体がないということは分かりますが、神の働きと言われも・・・・                    名詞と同じくらい分かりません。  
     八木先生:私は、神の働きを<いのちの働き>と、とらえています。    
                 われわれの<いのちの営み>を成り立たせる働きです。
        ここは、<God>を<いのちの働き>と訳しましょう。
  本田:ナイチンゲールは、キリスト教の常識的な神を否定し、
      彼女自身の神概念について語っているので、
      <God><神>と言った場合、どちらの意味でのどのようなGodかが
      分かりにくいですね。
      <いのちの営み>は、自分自身が生きていることですから・・・
      私は私が生み出したのではないし、私を生かすはたらきを
      <いのちの働き>と言えば、分からないでもありません。
      それを感じるcapabilities(能力)は、<いのちの感覚>ですね。
     
 <いのちの感覚><統合感覚>と言い換えてもよいということなのですね。

I offer the result of my own endeavors , and what I am able to gather from
the endeavors of others.
私は、私自身の努力の成果と、私が他の人々(歴史上)の努力の成果から
集めることができたものを提供します

 The object of our desire is to be Truth.
私たちの願う目的は、「真理」になることです。

All should have their faculties exercised and educated , for the purpose of forming a judgment of what is God`s truth.
すべての人々は、神の真理とは何かが判断できるようになることを目的に、自らの能力を鍛錬・育成するべきである。

注)神の真理とは、私たちの<いのちの営み>の真理と言うことですが、
  この<いのちの営み>は、単に私たちの<いのちの営み>としてあるのではなく、
  その根拠として<いのちの働き>が感じられるということです。
  八木先生は、<いのちの営み>を、<いのちの働きのいのちの営み>と言います。
  朝起きて、顔を洗って、ご飯を食べて、歯を磨く、排泄する、この当たり前の日常の
  自分のいちいちのいのちの営み、これが単に自分の自我によって成り立っているのでは
  ないと気づく。
  言い換えると、私たちの<いのちの営み>は、私たちの<いのちの営み>を成り立たせる
  <いのちの働き>が実現して成り立っているということです。
  この全体が、ナイチンゲールが語ろうとしている神の真理だと思います。

  では、それを成り立たせているのはないかと言葉にするとき、自我を超えた何かの働き
  について、語り始めることになります。しかし、その働きは目に見えるものではなく、
  感じるものですから、比喩的に語られることになります。
  磁場に働く磁力の譬えて見たり
  その発見は、Godとか神とかの言葉になる。A と言っても ん といってもいい・・

 

ヴォリス1

ヴォーリズの建築(教会)

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