『真理の探究』『Suggestion for Thought by Florence Nightingale』(4)

『真理の探究』『Suggestion for Thought by Florence Nightingale』の読書会を
月2回のペースで続けています。
本がボロボロになったので、もう一冊買っておこうと思いアマゾンで検索すると
中古品4,665円よりとなっておりました。ちょっと辛いので、見送り事にしました。

一件のカスタマレビューがありました。
あまりにお見事な文章で、書いた方と語り合いたいと思いました。
読んで、「そうよ、私もそう言いたい!」と、自分の感じていることがわかった次第。
私には到底こんな文章は書けないので、そのまま抜粋させて頂くことにしました。

これを読んで、是非『真理の探究』に興味を持って頂きたいです。
高くても買う価値のある本です!

宇宙儀

 

果たして、未だかつてこのような宗教哲学本が存在したのだろうか?この「真理の探究」は、実にユニークで、興味深く、そして、最も謎に包まれているナイチ ンゲールの著書である。かの有名な「看護覚え書き」の認知度を100とすると、この「真理の探究」は1さえもないことだろう。「真理の探究」のもととなっ た原著は3冊に分かれた合計800ページを超えるものであり、しかも私家版としてたった数冊しか印刷されず彼女の「身内」にしか「配布」されなかったもの であるため、存在そのものが長年知られてなくても当然のことであろう。本書は、そのうちの中から、特に重要・肝心な部分を厳選して抜粋・編集・邦訳し、現 代人による解説・手引きを加えたものである。ナイチンゲールの著書には独特な言い回しや表現技法があり、なおかつ難解で長大(冗長)であるため、本書のよ うな抜粋・編集かつ解説・手引き付きのいわば「省略版」ものの方がとっつきやすいのは事実であるが、ナイチンゲール自身の本意を崩すことなく彼女の宗教哲 学・思想・思考をうまく441ページまでに整理して、しかも彼女自身の言葉の改ざん・わかりやすい言い換えは一切なされず彼女自身の言葉の内容・文法・構 文・論調をそのままに一冊の「真理の探究」としてまとめ上げた編著者陣・訳者陣の並々ならぬ尽力にはただただ頭が下がるものがある(従って、解説にも書か れているが、本書には彼女を批評することは厳に避けられている)。

ナイチンゲールが本書を書いたのは30代の頃であると言われており、さ らにその原型は、それまで彼女が生きてきたまでの「観察と経験」で形作られ、ことに20代末のエジプト旅行での体験によるところが大きい。さらに、プラト ン主義や神秘主義・ドイツ哲学、ローマカトリック・英国国教会・修道院等々既存教会組織への批判、ユニテリアン、東洋思想等々様々なエッセンスが加わっ て、彼女の宗教的・哲学的・社会的・家庭的といった様々な事柄の彼女なりの考え方を彼女自身が人々に問いかけるものがこの「真理の探究」である。従って、 本書は看護や衛生に関する一連の著作でもなければ、統計本でもない。しかし、本書に書かれている彼女の思考パターン・思考様式は、「看護覚え書き」をはじ めとする彼女の一連の著書で全て具現化されており、一体何故ナイチンゲールという人物はこのような思想・思考の持ち主なのかを探るには、やはり「真理の探 究」には必ず目を通さなければならない、ナイチンゲール研究に絶対不可欠な要の一冊なのである。

「真理の探究」で書かれているスタンス は、まず最初に神の法則(ナイチンゲールによればこれこそ「真理」だという)というものがあり、世の中の事象は全て神の法則によるものである。そして人間 が意志によって神の法則に目覚めて気付き、人間が神に向かうために努力し働き、人類全体が善・正義・愛へと前進・成長していくというものである。そしてそ のためには、神の法則に適った「環境」が設定されていなければならないというものである。従って、これが達成されると、一連の彼女の看護・衛生本にあるよ うに病気・病院がなくなるのみならず、社会から犯罪も刑罰も皆なくなるのである(なんと死刑も消滅するだろうと大胆に言っている)。そしてそのエッセンス 一つ一つには、ナイチンゲールが生きた19世紀だけでなく20・21世紀の現代人にも共通して言える今日的な「問いかけ」や「課題」「意義」も実に随所に 豊富に含まれており、時代を超えて読まれて何らおかしくない、むしろ、時代を超えてじっくり真正面から目を通してみるべきものなのである。
ナイチ ンゲールのいう神の法則に向かうために人間が生きていくには、当然人間の意志によって神に気付かなければならないものであるため、世の中にとって、また人 類にとって生活全般から生涯にかけて「宗教」は必要不可欠なエッセンスであり、神の法則に向かうための仕事全てが「宗教的」なのである。そこには「宗教は アヘン」というようなものは一切なく、「宗教」は人間を前進・成長させるためのものなのだ。
世の中の事象は全て神の法則によるものとはあるものの、これはカルヴァン予定説とは全く異なるものであり、また汎神論にも注意を促している。

ナ イチンゲールはよくユニテリアンだと言われているが、しかし、本書を読むと、ユニテリアンの影響による論調は随所に見られるが、しかし彼女が一概に「ユニ テリアン」だとは言い切れないし(むしろ一般的な「ユニテリアン」ですらないのかもしれない)、一方で既存の教会組織への批判もめっぽう鋭い。しかしどの ような立場であれ、彼女は不変の神の法則を信じ、普遍の神の法則へと向かって行ったのは紛れもない事実であったということは断言できよう。

本 書は、「ナイチンゲール流」宗教哲学探究読本ではあるが、ただでさえ小難しくとっつきにくい宗教本・哲学本というイメージをできる限り払拭し、目を通して みると意外と読みやすかったりする(ただしやはり「難しい本」であるのは否定できない)。また、読者には多少なりともキリスト教や聖書の知識が要求され、 そうでなかったら、何が何だか・何が書かれているのかちんぷんかんぷんなのはそう言わざるを得ない。しかし、編著者陣・訳者陣の並々ならぬ尽力により、日 本人の目にも入りやすいように編集された、なんとよくできた素晴らしい一冊なのだろうか(ただし解説ページには「真理の探究」を完璧な・完結した作品とみ なすべきではないとの忠告がある)。

2010年、ナイチンゲールは没後100周年を迎えたが、それに関しては(少なくとも日本の)既存の メディアでは一切取り上げられることがなく一年が過ぎてしまったが、来る2020年の生誕200年までの間には、一人でも多く「真理の探究」に目を通し、 フロレンス・ナイチンゲール という稀代の女性の宗教・哲学・思想・思考にじっくり触れ、思索を巡らせてみるのもいかがだろうか。

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