フローレンス・ナイチンゲールの
『看護覚え書 看護であること・看護でないこと』で、
私が特に大切だと思うのは<はしがき>と<序章>です。
まず、ここをゆっくり読んでいきたいと思います。
何冊かの訳本が出ていますが、私なりに原文を読んでいきます。
間違いがあれば、ご指摘いただけるとありがたいです。
なにせ、英語は大の苦手ですから。
<はしがき>
以下の覚え書には、看護師に看護を学べるように、看護の考え方のルールを示すことを意図する意味は決してない。
まして、看護師に看護を教えるマニュアルではない。
それは、シンプルな意味で、女性に考え方のヒントを与えるためです。
どんな女性かというと、他者の健康について直接の責任を負っている女性です。
イギリスでは、すべての女性 、少なくともほとんどの女性は、自身の人生ににおいて
一度や何回かは、子どもだか病人だか、誰かの健康を、個人的に担う。
言い換えれば、すべての女性は看護師である。
毎日の健康の知識、また看護の知識は、
言い換えれば、病気にかからない あるいは 病気から回復する ように
要素(constitution)をどの様な状態に置くかという知識は、
高い位地を占めている。
これは誰もが持つべき知識であって、
専門家だけが持つ医学の知識とは異なる。
さて、すべての女性が、人生のいつかは看護婦にならなければいけないのであれば、すなわち、誰かの健康を担わなければならないのであれば、
もし、すべての女性が如何に看護をするかを考える時に、
彼女(彼女とはナイチンゲールのことかなと思います)の経験を合わせたものを作れば、
どれほど計り知れない そして、どれほど貴重であることか。
私は女性に如何に看護するかを教えつつもりはない。
私は、彼女自身が学ぶことを願っている。
そして、その目的のため、私はいくつかのヒントを与えることに賭けている。
女性のところは、現在の日本においては、多くの言い換えができると思います。
子育てにかかわる母親、父親はもちろん、家族すべて。
看護をケアととらえれば、ケアワーカーのすべて。
もちろん歯科衛生士も含まれますね。
また、自分の健康を自分で担うことも含めれば、
すべての人間に向けれれた本だと言えますね。
『看護覚え書 看護であること・看護でないこと』は、
それぞれの人が、健康(看護)の考え方を自ら学ぶためのヒントの書。
ナイチンゲール自身が看護実践から、<そもそも看護とはこういうことだ>と
掴むことができた経験をここに提示するから、
みなさんも、自分で<看護の本質>を学んで欲しい。
それが私の願いであり、そこに私は賭ける
健康にこれほど関心がもたれた時代はありません。
裏返せば、健康不安が蔓延している社会ですね。
しかし、どうすればいいのか、何が本当なのか、
それが見えにくくなった社会に私たちは生きているとも言えます。
健康不安の時代に生きる人間として、
また、国民の健康を担う歯科衛生士として、
ナイチンゲールの言葉に耳を傾けてみましょう。
はしがきを読んで、ナイチンゲールの覚え書は
人間が健康に生きるということはどういうことか、
その考え方を掴むため本であると私自身は理解しました。