宇井 純 偏『技術と産業公害』国際連語大学発行 東京大学出版会発売 1987年 2800円
この本は、歯科衛生士の仕事で、森永ヒ素ミルクの患者さんと出会っった時、当時何が起きたのかを知るために読んだ本です。
・A君は、高松市歯科医師会の高松市歯科救急医療センターに治療に来ていました。
彼の兄弟が歯科医療に関わっていることもあり、治療に連れてくるお母さんともずいぶんいろいろなことについてお話をしました。残念なことにA君は亡くなってしまいました。
・ひかり協会<森永ミルク中毒被害者を守る会>のお手伝いすることになり、香川県に住んでいる被害者の歯科的問題の相談を受けています。
1948(昭和23)年7月,空前のベビーブームを背景に,人口対策を含む優性保護法が制定され,翌8月,妊産婦および乳幼児保健指導要領にもとづい て,戦前の課題を引き継ぐ新しい母子衛生対策が定められた.そして悪化した食糧事情のもとで,ユニセフ無糖粉乳などが配給された.また占領軍によって煉・ 粉乳が緊急放出され,1947(昭和22)年からアメリカの脱脂粉乳による学童給食が実施されていった.1949~50(昭和24~25)年のアメリカの 経済恐慌に際し,余剰脱脂粉乳の輸入が強制され,これらの輸入品は国内の乳製品市場を圧迫しつつ,日本の乳製品食習慣を拡大していった.
そして 1949(昭和24)年から,育児衛生・育児教育の普及を目的として,厚生省・読売新聞社による“赤ちゃんコンクール”が,全国衛生行政組織を動員して実 施された.それは前年3月に出生の1歳児のうちから,市町村・保健所・都道府県ごとの検診・審査で男女各1名を選び,5月5日の子どもの日に,全国一・都 道府県一を表彰するものであった.
人間にとって,最もむつかしく,かつ危険な時期は生涯の初めである.新生児がこの危険を乗り越えるための基本 的な条件は,十分に母乳が与えられるか否か,にある.母 乳は蛋白質・脂質・糖質・無機質・微量元素・ビタミン類など,最もヒトの子の発育に適切な栄養組成 をもつだけでなく,母親がかつて感染した無数に近い微生物に対する抗原が含まれ,さらにいろいろの非特異的な殺菌物質と,もろもろの微生物に対する抗体が 含まれている.そして消化器系・呼吸器系感染,細菌・ウィルス血症から乳児を守るなど,強い感染防御能力をもつほか,異種蛋白の侵入を阻止し,アレルギー 性疾患をも防ぐ.人工栄養に,このすばらしい母乳の機能を与えることは不可能なのである.
だが,人工栄養の浸透と乳児死亡率の低下が並行して起 こっていることから,人工栄養の発達が,乳児死亡率低下の理由と誤解する向きもないではない.しかし,その主な理由は,抗生物質の開発によるもので,現在 も人工栄養児の死亡は,母乳栄養児の死亡の数倍の割で起こっているのである.
このように母乳は,新生児にかけがえのない最高の栄養を補給しつ つ,新生児を感染から守るほか,幼い命と母の相互の働きかけによって,母と子の絆を確立する.そして,この母乳による哺育を軸として展開する母と子の関係 こそ,まさに人間の尊厳を容易に,かつ効果的に獲得してゆく最も自然な方法なのである.
母乳は,乳児の泣き声などの精神的刺激と,乳首を吸う際 の刺激,いわゆる吸啜(せつ)刺激によって分泌される.出産時,母乳は分泌準備状態にあり,新生児の吸う力が弱いことと重なり,しばらくは十分に分泌され ない.新生児の体重が出産時より減少する生理的な体重減は,普通のことである.
この乳児に人工乳を与えると,瓶の乳首から乳汁がほとばしり,乳児は楽に満足できる.このため乳児は瓶をほしがり,母の乳首を本気で吸わなくなる.病・産院でも授乳指導はさて措いて,人工乳で太らせ,1日も早く送り出し,つぎの分娩を扱えば営業成績もあがる.
また病・産院の新生児管理は,母子別室が多く,乳児が泣くと口封じに人工乳を与える.しかも人工栄養児は生理的体重減もなく,かた肥えの母乳栄養児よりも 健康そうに見える.コンクールで入選したまるまると太った赤ちゃんの宣伝写真は,母親を母乳から人工乳に傾斜させてゆく.
こうして小児医学界の 権威歴々の推薦と,病・産院,小児科・産科医を動員した人工乳の包囲網は,赤ちゃんコンクールによって,母たちを積極的な人工乳の受容に向かわせ た.1951(昭 和26)年,森永乳業が開始した8カ月児のベビーコンクールは,乳業資本が赤ちゃんコンクールによって利益を享受していたことを表現して いたといえるだろう.1953(昭和28)年以降のNHKテレビの赤ちゃんコンクール(関東圏)は,人工乳受容の度合の高さを示していた.そしてこれら は,さらに母乳の駆逐をおし進めていった.
また戦後復興による婦人就業者の増加(表3-2)は,哺育制度の貧困なわが国において,簡便な人工乳の浸透に一層の拍車をかけた.1920年代,混合栄養を合わせて10%にすぎなかった人工栄養児は,1970年代に70%にも達するのである.
森永の事件の影には、人間とって大切な母乳哺育が社会的背景・医療行政・小児医学会・医療機関の在りようと関連し、乳業資本による消費構造に組み込まれていくという過程があったことが読み取れます。学校給食の問題も、このような歴史的背景から見直さなければなりません。また、医療保健従事者として歯科衛生士も、考えさせられるところがありますね。