『もうひとりのナイチンゲール』吉岡修一郎著

 小学生の頃に、皆さん沢山の偉人伝を読んだのではないでしょうか?
私がナイチンゲールの伝記を読んで記憶に残っているのは、
彼女がやさしく美しい貴族の娘であったこと。
そして、献身的に兵士に尽くした<白衣の天使>であったというものです。

 このような子ども向けの伝記に登場するナイチンゲールのイメージから語られた看護師とは、自分を犠牲にして患者や医師に尽くす存在というものです。
そのような意味での看護の仕事を、<天職>だと言われてきました。
その<天職>は看護師を長時間安く働かせるための、さらに医師の世話までさせる口実として利用された感があります。
しかし、実際のナイチンゲールは、乙女チックな物語の主人公のような人物ではありません。

 そんなナイチンゲールに関する私たちの誤解をはっきり指摘しているのが、吉岡修一郎著『もうひとりのナイチンゲール 誤解されてきたその生涯』医学書院 1966です。
著者は、ナイチンゲールは一般的に世間で語られているような<白衣の天使>でなもく、慈善的な博愛主義でも貴族的ヒューマニズムの使徒だったのでもないと述べています。
一般的なナイチンゲールのイメージは偉人伝に書かれている内容が定着したもののようですが、ナイチンゲールは単にやさしい看護婦であっただけではありません。
決して表舞台に出ることはありませんでしたが、イギリス軍の改革や、インドの国民の生活を救うといった国政レベルの仕事を自宅のベッドルームで行ったのです
電話すらない社会で、マンションの一室から出ることなく、官僚と戦うような仕事でしょう。

 ナイチンゲールの仕事を支えたのは、彼女に共感するブレーンと、彼女自身の徹底した合理主義な性格と行動力です。
その点を吉岡修一郎氏は、「よくよく型の変わった女性であり、シタタカものであることを、いよいよ痛感している次第です。」と述べています。

 偉大なことを成しとげた人間は誰しも、目的遂行のためには並々ならぬ精神力と行動力を発揮します。ナイチンゲールも例外ではなかったでしょう。
その力が並はずれていたところから、他者の仕事に対する評価も並はずれて厳しかったことが想像できます。また、自身の勘違いを素直に認められない面もあったようです。
とにかく、良くも悪くも看護の礎を築いたナイチンゲールは、やはり傑出した偉人だったのです。

ナイチンゲール伝

 ここで、ナイチンゲールの仕事に賭ける情熱の発露はどこにあったのだろうかという、疑問が湧いてきます。
ナイチンゲールが残した著作や書簡を読むと、何かに突き動かされるように行動した様子が良くわかります。
 彼女を触発した働きは、単に自我と呼ばれる心の働きだけではなく、その自我を超えた働きだとナイチンゲールは感じていたようです。
彼女の自我を超えたその働きをナイチンゲールは、<神>と呼んでいます。
しかし、彼女が語る<神>とは、常識的なキリスト教の神ではありませんでした。
神秘主義的なキリスト教徒が語る神です。
つまり、ナイチンゲールは<神>と言う言葉を使っていますが、
その<神>が意味する内容は、伝統的なキリスト教の語る<神>ではないのです。
このような複雑さゆえに、ナイチンゲールを理解しょうとするとする人々が、
ナイチンゲールの語る<神>を解釈しようとする場合、捉え方は一様ではありません。

『もうひとりのナイチンゲール 誤解されてきたその生涯』では、ナイチンゲールの著作である『真理の探究』に描かれた<神>について、以下のような記述があります。

 彼女のような人間にかかっては、「神」さえもあくまで人間のために奉仕させられ、それで「神」がヘトヘトに疲れ切って、のたれ死んでしまいそうなくらい、強烈に人間本位のものだったようです。「神」という名の、そのじつ彼女自身の魂のさけびだったのです。しかも、その「神」の本質を論理的に表現するときには、いかにも神学者や哲学者くさい口調で、彼女に似合わない口べたです。(P127)

  しかし彼女も、ヘトヘトに疲れ切って、みじめな虚脱感と懐疑とに陥り、神秘主義的・宗教的な気分にさまようことがありました。(P130)

 クリミア以前の彼女の、居ても立ってもいられないような、あのあせりともだえとが、もどって来るのです。このようなもだえは、理性の要求ばかりではなく、むしろ肉体から切り離せない感情のさけびが主体なのではないかと思われますが、その感情が自分で「神」を作り出し、「神」を呼び求めるのでしょう。(P131)

 上記のような捉え方は、吉岡修一郎独自のものではないようです。1880年ロンドン生まれの

ジャイルズ・リットン・ストレイチー著『ナイチンゲール伝』(岩波文庫1993年)にも、以下のような記述があります。

  彼女の神についての考え方は、確かに正統的なものではなかった。栄光に輝く衛生技師に対して彼女がしていたであろうと同じような感じ方を、神に対してもしていた。ある場合には、考え方として、神と下水を区別していないように思われる。彼女独特の文章を読んで行くと、ミス・ナイチンゲールは全能の神をも自分の手中にしてしまっているような印象を与えられる。神もまた用心しないと彼女にこき使われて死ぬことになりかねない。(P96 P97)

 これほど実証主義で、現実的で、超実際家肌の彼女の精神は、その反動として、神秘的なまでに神秘主義に陥り、疑惑に取りつかれることがあった。(P100)

  吉岡修一郎とジャイルズ・リットン・ストレイチーは、ナイチンゲールの宗教性を誤解しているように感じます。
あたかもナイチンゲールが自分の都合のよい神を作り上げたかのような捉え方をしています。また、神秘主義事態を、自分で神を作り上げるような、如何わしさを含んだ考え方であるように捉えているニュワンスが文章から伝わってきます。

しかし、本来、<神秘主義>は宗教の本質を言い表したものです。
ですから、制度として発展した教団が語る<神>の理解となじまないところがあります。
例えば、マリアの処女降誕や、死んだイエスが墓から甦ったとして語られるキリスト教の物語です。ナイチンゲールは、非科学的な宗教物語を認めていませんでした。

 教会の教えを否定するような神秘主義者の言動は、異端扱いされているという経緯があります。世が世なら、火あぶりの刑に処せられることになったはずです。

もし私たちが神秘主義を正しく理解すれば、ナイチンゲールの宗教思想の解釈は、吉岡修一郎やジャイルズ・リットン・ストレイチーの考えと違ったものとなるはずです。
また、なぜ、吉岡修一郎やジャイルズ・リットン・ストレイチーのような捉え方が成り立つかも納得できるように思います。

力不足だということを承知で、近々、<神秘主義>について書きたいと思います。

しかし、この神秘という言葉は如何わしさが漂っていますね。
オウムも宗教だと言えば、宗教と言う言葉も同様ですが・・・・
では、宗教と宗教でないものをどの様に区別したれいいのでしょうか?
ナイチンゲールが語る看護を理解するためには、
このような問いに答えることのできる宗教理解が必要だと思うのですが・・・
難しい!!

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