11月23日は、香川県歯科医療専門学校 衛生士科第44期生 40名の載帽式でした。
厳粛な中行われるキャンドルサービスは、歯科衛生士人生の中でも忘れられない経験です。
第10期生の私は、今もキャップが載せられた重みと、ピンの感触を覚えています。
学生の時には、折々の式典を面倒くさいなーとも感じていましたが、
最近は忙しく流れゆく日常に、緊張と初心を甦らせる
ありがたい時間だと感じます。儀式の効用ですね。
キャンドルを手に私の前を通り過ぎる一人一人の学生の顔を見ていると、
「なんだかんだ言いながら、皆よく頑張ったね。」と感じます。
そして、とにかく健康に気をつけて元気で、臨床実習を乗り切ってほしいと願います。
いかに優秀な歯科衛生士であっても自分の身体が健康でなければ、
知識を技術を使うこともできないし、優しく患者さんに接することもできません。
さて、今年の式で一番印象に残ったことは、校長先生の言葉でした。
天台宗の開祖 最澄の有名な言葉『照千一隅 此則国宝』
「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」です。
その意味は次のようなことです。
お金や財宝は国の宝ではなく、家庭や職場など、自分自身が置かれたその場所で、精一杯 努力し、
明るく光り輝くことのできる人こそ、何物にも変えがたい貴い国の宝である。
一人ひとりがそれぞれの持ち場で全力を尽くすことによって、社会全体が 明るく照らされていく。
自分のためばかりではなく、人の幸せを求める心豊かな人こそ国の宝である。
載帽式で改めてこのような言葉を聞くと、私自身に向けられた言葉として
ハッとさせられますね。
「一隅を照らす」とされている「照千一隅」は、「一隅を守るは千里を照らすなり」という意味で、 すべての人がそれぞれの分野で全力を尽くして生きて行くことが、国を照らすことになるという意味とも、「一隅にありながら千里を照らす逸材こそが国の宝である」という意味とも言われます。
「お前はどうなのだ?!」と問われて、なんと答えるか・・・・・・???
取りあえず、国会議員のことに話題をすり替えて、文句を山盛り言います。
そして『随処作主』(ずいしょにしゅとなる)という、
臨済宗の開祖のお言葉でもってお応えしたいところですが・・・・
この意味は、主体性を持って真実の自己として行動し生きて行くならば、
何ごとにおいても、そこでの生き様はすべて真実であるというようなことです。
しかし、私の問題は、真実の自己になりきれないところです。
そもそも「真実の自己とは、如何なる自己を言うのか?」
では「どうすれば、真実の自己がわかるのか?」
そして「どうすれば真実の自己になれるのか?」
上田閑照先生は「我は 我ならずして 我なり」、これが真実の自己だと言っています。
難しいですね。
せめて、怪しげな主体性だけには従うまいと思いますが、これも難しいです。
ナイチンゲールも、このような<真実の自己>としての、
看護の担い手の主体性を問題にした人です。
興味がある方は、是非<ナイチンゲールコーナー>の論文を開いてみて下さい。
ダウンロードもできます。
『「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」』 への1件のコメント