歯・口腔と全身状態の深い関係

資料を整理していたら、山梨市立牧丘病院 古屋聡先生の文章が見つかりました。
皆さんに読んでいただきたいので、掲載させていただきました。

「これって、実はお口の問題?」――歯・口腔と全身状態の深い関係

この原稿のお題をいただいてから、東北から関東の広域を大地震と大津波が襲いました。多くの基礎疾患をもつ高齢のかたがたが自宅を流され、不衛生な避難所に避難せざるを得なくなりました。わが身ひとつでなんとか逃げたかたがたは、義歯を流されてしまった方も多く、歯ブラシなどもつ間もなかったと聞きます。寒さとほこりの舞う住環境、ライフラインの途絶も続き、うがいの水どころか飲用水にも事欠きました。災害が広範囲なこととガソリンが不足し、物流が不十分であったこともあり、菓子パンなど高齢者に食べにくい食品を食事として供せざるを得なかったことも多くありました。

この劣悪な環境下、「これって実は“お口”の問題?」と尋ねるのもばからしく思えるほど、露骨に「歯・口腔」の問題が全身状態に影響を及ぼしています。

阪神・淡路大震災の忌まわしい記憶でも、「震災関連死」のなかで肺炎は24%(文献1)。

今回の大震災の発災以来、現在にいたるまで、病院で、避難所で、被災した自宅で、口腔ケアの行き届かない高齢の方、障がいをもつ方が、危機に瀕しています。

私は整形外科ベースの在宅医です。不勉強な私は、自分では虫歯をたくさんもつ身でありながら、口腔環境にはほとんど関心を示さずにやってきました。ところが、私が訪問診療(医科)をしているなかで、10年ほど前にある患者さんに出会いました。その患者さんは脳血管障がいにより半身のマヒがありましたが、自分の口で食べられていて、社会性のある元気な方でした。ある日私は、訪問診察でその方のおなかに拍動する腫瘤-腹部大動脈瘤-を見つけました。破裂する危険が生じてきているサイズでしたので、治療方針について検討するに「活動的で元気な方だから手術をして破裂の危険がなくなったほうがよい」と考え、私のすすめによりその患者さんは入院して手術を受けました。ところが手術自体の経過はよかったのにも関わらず、全身麻酔で一時絶食になったことをきっかけに、その患者さんは口からものを食べられなくなり、結局胃ろうが導入されて、自宅に帰ってきました。声も小さく元気もなくなって、口からはよだれがこぼれていました。私は非常に罪悪感にかられ、手術前に食べられていたのだから、また口から食べられるようになって欲しいと心から願ったので、多くの人に相談しました。知り合いの言語聴覚士にも歯科医師にも耳鼻科医師にも相談した結果、残念ながら、その時のこの患者さんの嚥下機能では、経口摂取に戻るのはかなり困難だろうという結論になり、私は意気消沈してしまいました。

しかしここでかねてから名前を聞いていたが顔は知らなかった在宅で活躍する歯科衛生士、牛山京子さんにダメもとで訓練を頼んでみた結果、なんと半年ほどたつうちにふたたび口から食べられるようになったのです。そして「上手にしゃべれない、食べられない」状態からすっかり社会参加の意欲を失って、やや自暴自棄になっていたように見えた患者さんが、以前の明るい社交的な雰囲気を取り戻していったのです。これをいわゆる「牛山マジック」とよびますが、彼女の訓練は「機能を高める、もしくは取り戻す」だけでなく、訓練自体が「社会とのコミュニケーションの回復」であったのです。これを機会に私は、口とコミュニケーションと生活の質に非常に密接な関わりがあることを実感し、「口腔ケアの旗ふり役」を自認することになりました。

2006年、無床診療所から30床の小病院に異動してきた私は、在宅患者だけでなく入院患者も診ることになりました。

相変わらず高齢者ばかり診るのですが、認知症であったり、脳血管障がいであったりする高齢者の方は、しばしば主訴「食欲不振」で受診されます。医科的には、たとえば「脱水」か「低栄養」か、肺炎や腎盂腎炎などの「感染」か、なんらかの悪性疾患か、認知症の進行か、などを鑑別において、場合によっては入院してもらって検査していくのですが、どの検査にも決定的な大きな異常がないという場合も少なくありません。胃ろうや中心静脈栄養という選択肢も頭に思い浮かぶなか、自分のやっていることが、目の前の患者さんの問題を横にそらしたり、先送りしたり、ごまかしたりするだけのように思われて、打つ手がなくなると、当院ではつい歯科衛生士さんの神通力に救いを求めてきました。すると少なからず、「義歯があたっていました」「残根が痛いんです」「舌にカンジダがありそうです」と歯科的問題にあたり、歯科治療と口腔ケアを続けると、食欲がもどるケースをたびたび経験しました。いかに私の学習能力が低くとも、これでは最初からちゃんと口の中を診なさいということですから、そうしたら、多くの要介護の患者さんが、「義歯使わず」とか「義歯がまったくあわない」とか「歯周病」であることがわかってきました。

そもそも経口摂取の入り口は「口」であり、しゃべるのも「口」であり、口の形態や機能がよくなければ露骨に生命維持活動や社会活動に影響してきます。こんなこともわからなくて、血液検査なんかを優先させているようだと、「やっぱり医師は不勉強だね」と言われざるを得ないと思います。訪問看護や介護においては、「食べる、出す、清潔にする」がとにかく基本ですから、まず「口」の問題はきちんと認識されることが多く、それに比べると病院の医師のほうに問題の優先順位を取り違えて、生活上のニーズにきちんと答えられないことがしばしばある気がします。またそういう医師にかぎって、医師の専門性や優越性を主張したりするので、チームとしてやりにくくなることがあります。

青少年や若年者においては、「口は心の窓」と言われてきました。生活の乱れや家庭環境が口腔内に露骨に反映するからです。中高年にとっては、「口は体の窓」です(当たり前か?)。歯周病は生活習慣病そのものであり、喫煙も口腔内環境に大きく関わることから、禁煙を含む生活習慣病の治療へのモチベーションの喚起は歯科から行われることも重要なチャンネルになると思います。

前述したように、「口」には生命維持活動(経口摂取)、社会活動(会話)の大事な要素があります。高齢者においては、加齢や基礎疾患による免疫機能の低下に加えて、口腔機能の低下は不顕性誤嚥を生み、口腔内の衛生環境の悪化はそのまま細菌の培地となりますから、誤嚥性肺炎の危険は上昇します。この予防のために、自他ともに取り組む「口腔ケア」は高齢者にかかわるいろいろなケアのなかでも非常に重要性が高いものであると言えます。今回の大震災でも、多くの不幸なケースが報告され、いやおうなくその重要性が再認識されています。

当院では口腔機能が低下した患者さんの入院中に、週いちの歯科衛生士による「専門的口腔ケア」を導入し、施設においても、在宅においても、それを継続する仕組みを整えています。数おおく存在する不顕性誤嚥・肺炎繰り返す患者さんに対し、「専門的口腔ケア」を導入した結果、肺炎での入院は確実に減少しています。歯科衛生士による「専門的口腔ケア」は口腔内清潔度や口腔機能を維持・向上させるとともに、看護師などによる病棟の日常的口腔ケアをもっとやりやすいものにしました。

また高齢者の在宅診療においては、常に口腔内の問題に注意し、できるだけ歯科医師の評価・介入を、また必要と認める場合、歯科衛生士による口腔ケアをケアプランのなかに導入できると、入院と同様に在宅生活の質は明らかに向上できます。口腔の専門職種の導入に加え、管理栄養士による訪問栄養食事指導も併用できると、食の支援がさらにレベルアップし、直接ケアにかかわる訪問看護や介護のスタッフにも、専門的知見やスキルが共有され、さらに優れたチームケアになっていきます。もちろんこれに訪問リハビリテーション(通所でもいい)を加わると、効果はさらにあがります。

近年歯科業界は、訪問歯科医・歯科衛生士の養成を熱心に行っています。「研修」として、歯科医師の先生が私どもの訪問診療に同行してくれることも増えてきました。日常診療のなかでは歯科の先生とコラボする場面はそう多くないですが(抜歯など歯科的処置のお手伝いをする場合や、嚥下機能評価をともに行うなどで同席することはあります)、口腔の専門家が同行してくれていることで、こちら(医科)の訪問診療の幅が広がっていると感じることがしばしばあります。

今後、在宅患者さんにおいては、歯科医との同伴訪問も定期的に行えるほうがよいと思われるし、介護保険の認定更新ごとに行われるケアカンファランスにも歯科医師・歯科衛生士にも参加を願えることがのぞましいと考えます。

冒頭でご紹介した患者さんをきっかけにして、この患者さんについてお願いしていった人たちを中核に、そして山梨県内外でインターネット上のメーリングリストなどを通じて知り合った人たちを加え、「山梨お口とコミュニケーションを考える会」という多職種勉強会を組織しました。2002年から、年1回の外部講師を招いた研修会、月1回の定例会開催とインターネット上のメーリングリスト運営を並行して行っています。

口コミでじょじょにメンバーは広がり、医師、歯科医師、保健師、看護師、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、歯科衛生士、(管理)栄養士、学校養護教員、養護学校教員、ホームヘルパー、手話通訳者、心理療法家、音楽療法家、など多職種のメンバーが集い、遠慮のない意見が飛び交う温かい交流の場となっています。

メンバーの多くが山梨県東山梨地域で活動していますから、まず顔の見える業務連携に非常に有利です。例えば、医師―歯科医師―歯科衛生士、学校養護教員―歯科衛生士、といった具体的連携はしばしば行われます。そしてメンバーに言語聴覚士、手話通訳者ももつことからも、口腔ケアを必要とするかたがたに非常に関連の深いコミュニケーション障害について、具体的な助言を受けることもでき、医師―言語聴覚士、歯科医師―歯科衛生士、と連携して関わっている「失語症+摂食嚥下障がい」の在宅ケースもあります。また、当会ではさまざまな職種でシームレスな論議ができることから、高齢者に関わらず、例えばさまざまな身体的障がいや発達障がいの小児の口腔・嚥下機能獲得や改善、学校保健現場における口腔環境と関連する心身障がいなどにも高い関心をもっています。 インターネット上のやりとりは、もちろん距離に関係ないですから、圏域を超えた情報交換や交流に役立ち、実際に北海道の最北部や沖縄県の石垣島、あるいは能登半島などのメンバーもいて、具体的にその地域の問題の解決に貢献できる場合もあります。

私たち「山梨お口とコミュニケーションを考える会」は、こと「口腔ケア」に関わらず、「口とコミュニケーション」にまつわるすべてのことにアンテナを高くもって、あらゆる職種の活動に反映できるべく、今日も自由な論議をしていきたいと考えています。

最後になりましたが、今回の震災は、未曾有の危機であり、今まで私たちが積み重ねてきたすべての経験と実力が試されています。文献2)もご覧いただき、多くの方・多くの職種が実際に被災地での活動に力をくださいますよう、お願い申し上げます。

参考文献
1)神戸新聞(2004年5月14日付)
2)大規模災害発生時における口腔ケア活動の意義と実際
厚生労働科学研究費補助金(健康安全・危機管理対策総合研究推進事業)
大規模災害時における歯科保健医療の健康危機管理体制の構築に関する研究
東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科・顎顔面外科学中久木 康一

この写真は、私(本田)が口腔ケアを行っていた特養の利用者さんで統合失調症がありました。生活保護を受けており、福祉の方との連携も必要だと感じた口腔です。

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