珈琲ブレイク (9)

師匠:身体、大変だったね。大丈夫なの?

弟子:なんとか。
   今回、ベッドで寝ていて、修士論文を書いて良かったーと思えました?

師匠:一体どういうことだね?

弟子:いえ、しみじみ身体は自我の所有物ではないと言うことを実感しました。
   それから、
   師匠のお言葉「すべては統合化プロセス = コミュニケーション」を味わいました。

師匠:そうかー。

弟子:自我が「私が、生きてる。」と語ることの  おかしさもよーくわかります。
   「いのちの働きが、私を生かしている。」「いのちの働きが、私を生きている」
    こっちが先だろうと!!

   そう思えると、じっとうずくまっていることが、いのちに従っている感じがして、
   「待つ」ことが以前より楽になっている感じでした。
   身体の苦は同じでも。

   「心身一如」であるなら、身体の苦も変わったのかな・・・・?

   とにかく、病んでいろいろ学ぶことが多かったです。
   <現場><「場」所> としての、自身の「病」でした。

師匠:それは、「死」についても言えるんだろうね。

弟子:そうですね。

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弟子:オウム事件から、はや、20年なのですね。

師匠:そうだねー。

   「宗教と」は、なにかねー?

弟子:・・・・

師匠:真の宗教と言う言い方も変だが、僕はこう考えている。

「宗教」とは、「いのち」ということに答えるものだと思う。

「いのち」とは、
本来の意味での「コミュニケーション作用」、

 日本語で言うと「分合作用」、

仏教では「縁起」、
八木誠一先生の「統合化作用」

 それによって、すべてが繋がっている。

すべては統合化プロセスとして成り立っている。

 

 

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