2014年<場>所論研究会21秋期セミナー

2014年<場>所論研究会21秋期セミナーは、11月1日、2日、善通寺市民会館にて
開催されました。

26年場所論千葉、静岡、愛知、三重と、皆さん遠路善通寺にいらして頂きありがとうございました。
なかなか県外に出にくい香川県の方にとっては、絶好のチャンスでしたね。

場所論』って何かと聞かれます。いつも返答に困るのですが、
開催に当たっての、八木洋一先生の言葉が理解の助けになると思いますので、掲載しますね。

「<いのち>とは何か?」と言う問いに、言葉を与えると『場所論』になる。

最近アウグスチヌスの『告白』を読み返しているが、面白いことを言っています。
<時間>とは何かを、皆よく知っている。
しかし、改めて<時間>とは何かと聞かれると、これに答えられる人はいるだろうか?
<いのち>も同じではないだろうか!

だれもが<いのち。を営んでいる。
そし「いのちを大切に」とよく言うのだが、
その「いのちに」とは何かという問いに、人々は答えられない。

それに答えようとした人間の営みが、宗教だった。
宗教の研究は、その努力である。

八木誠一先生は、その古い宗教の言葉を、今生きるている人に通じるような
現代に言葉に言いなおそうとしてきた。
このセミナーは、一人一人の<いのち>の問いに対する答えのヒントになる!

八木誠一

八木誠一先生の講演 『<場所論>その後 ~「信」とは何か~』

宗教とは何か。
宗教とは、今ここに、無限の彼方から尊いことが現れること。
それを経験(直接経験)した時、人は「神が現われた」と表現する。

だれも、神そのものを見た人はいない。
神とは<働き>であるから、そのものは見えない。
電磁波なんかもそうでしょ・・・・見えないけど、電磁波について語る。

すると、見たこともないのに
「神は・・・・・・・・こうだ」と表現言語としての宗教言語で語ります。
それを聞いた人は、その宗教言語を、客観的記述言語として受け取る。
すると、可笑しなことになる。
いつの間にか、神様が人格神のようになり、実体化してしまう。
天国という所があると思っちゃうんだよね。

「神が現われた」と表現されるような出来事<宗教経験・直接経験>を経験する。
そうすると、ここは、働きとしての神の、作用圏になる。
私たちが生きているところに、神が働いている。
単に私が生きているのではなく、尊いものが自分を動かすと語るようになる。
尊いものとは<神><仏><G⇒>語られたりする。

一般的に人は、自分は生きていると考えている。
そのような自分を、<単なる自我>と呼んでいる。
「神が現われた」と表現されるような出来事<宗教経験・直接経験>を経験した
私は、<単なる自我>と区別することができ、<自己をうつした自我>となる。

以上の関係について、わかりやすく、詳しくお話しして頂きました。

ケアをしているあなたは、<単なる自我>それとも<自己をうつした自我>?!
厳しい投げかけを感じる、反省の時間でした。

 

 

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