序章
一行目は、次の文章です。
Shall we begin by taking it as a general principle ━that all disease,
私たちはすべての病気について、
a general principle(一般的全体的原理、原則、根本)として、
以下のことを受け入れることから始めなければならない。
すべてのdisease(病気)は、その経過のどの時期であっても、程度の違いがあっても、
reparative process(修復過程 )であって、必ずしも苦痛が伴うわけではない:
poisoning(毒されたり)、decay(衰え/壊れ)たりするa process(過程)を
to remedy(癒そうとする) 自然の働き(an effort of nature>)である。
何週間も、何カ月も、時には何年も前から、気づかれることなくおこっている。
termination of disease(病気の終了・結果・期間)は、
antecedent process was going on(先行プロセスが起こって)いる間に
決定される。
病気を見ていて(watch:注意をそらさずに動きを継続的に見ていて)、
個人の家でも、公共の病院でも、
経験を積んだ観察者にとってもっとも印象深いのは、
一般的に避けられないと見做されている、
病気に付きものの症状や苦痛(the symtoms or the suffering)が、
そもそも病気の症状ではなく、全く別のことからくることが非常に多い。
━すなわち、新鮮な空気や陽光や暖かさ、静かさ、清潔さ、食事管理(切り盛り)における時間厳守や気配り、このどれか、または全部が欠けていることからくる。
そしてこれは、病院看護でも家庭看護でも,まったく同様である。
Nature has instituted (大自然が定め)、私たちが病気(disease)と呼んでいる、
修復過程(The reparative process )は、
こう言ったことの、一つあるいは全部に対する、知識や注意の欠如によって妨げられる、
そして 痛み、苦しみ, process 全体の中断が起こる。
患者が冷えたり、患者が発熱したり、患者がfaint(ぐったり)していたり,食後にむかむかしたり、褥瘡ができたりするのは,病気による障害ではなくて、看護のためである。