『看護覚え書』の読書会(2)

序章

一行目は、次の文章です。

Shall we begin by taking it as a general principle ━that all disease,

私たちはすべての病気について、
a general principle(一般的全体的原理、原則、根本として、
以下のことを受け入れることから始めなければならない。

すべてのdisease病気)は、その経過のどの時期であっても、程度の違いがあっても、

reparative  process修復過程であって、必ずしも苦痛が伴うわけではない:

poisoning(毒されたり)、decay(衰え/壊れ)たりするa process(過程)を

to remedy(癒そうとする) 自然の働き(an effort of nature>)である。

何週間も、何カ月も、時には何年も前から、気づかれることなくおこっている。

termination of disease(病気の終了・結果・期間)は、

antecedent process was going on(先行プロセスが起こって)いる間に

決定される。

 

病気を見ていて(watch:注意をそらさずに動きを継続的に見ていて)、

個人の家でも、公共の病院でも、
経験を積んだ観察者にとってもっとも印象深いのは、

一般的に避けられないと見做されている、
病気に付きものの症状や苦痛(the symtoms or the suffering)が、

そもそも病気の症状ではなく、全く別のことからくることが非常に多い。

━すなわち、新鮮な空気や陽光や暖かさ、静かさ、清潔さ、食事管理(切り盛り)における時間厳守や気配り、このどれか、または全部が欠けていることからくる。

そしてこれは、病院看護でも家庭看護でも,まったく同様である。

 

Nature has instituted (大自然が定め)、私たちが病気(disease)と呼んでいる、

 修復過程(The reparative  process )は、

こう言ったことの、一つあるいは全部に対する、知識や注意の欠如によって妨げられる、

そして 痛み、苦しみ, process 全体の中断が起こる。

患者が冷えたり、患者が発熱したり、患者がfaint(ぐったり)していたり,食後にむかむかしたり、褥瘡ができたりするのは,病気による障害ではなくて、看護のためである。

 蓮の花

 

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