§第三十段
とてもうれしいニュースが飛び込んできた。大阪の友人の歯科衛生士が、大学院にめでたく合格したのだ。
彼女は通信教育で大学を卒業した。仕事をしながらの勉強は大変である。か くいう私も現在、通信教育の短大生であるから、スクーリング時などの仕事のやりくりの大変さ、夜な夜な色気のないテキストを読むつらさ、慣れないレポート を書く苦しさはよく理解できる。だから、なおさら彼女の快挙がうれしくてたまらない。「やった!やった!」と小踊りしそうな気分である。
彼女の大学での専攻は福祉で、大学院では経済を専攻するそうだ。どうしてそんなにがんばれるのかと尋ねたら、「私の趣味やな」と返ってきた。これもわかる気がする。
私は現在、大学で幼児教育を勉強している。仕事の合間に、近くの大学へ死生学や余暇論の聴講に通っている。いまさらどうしてと聞かれれば、「おもしろいから」としか答えられない。やっぱり、遊びか趣味としか言いようがないのだ。
学生時代ちっとも勉強しなかったから、親は理解できないと言う。友達も、「信じられない、学校さぼって遊んでばかりいたのになんで?!」と驚いている。変われば変わるものだ。本人がいちばん驚いている。
ヨット、スキー、音楽、映画、カメラ、自転車、旅行、マラソン、トレッキング、飲み、食べ歩き…以前は遊ぶことならなんでも来いであったが、だんだん興味が薄れてしまった。
今では、本を読んだり大学へ行っている方がすっと楽しく、毎日が充実し、もっと本を読む時間があればと思うほどだ。この楽しさを知ってしまったら、どうもハマるらしいのだ。
これは、単に知識が増えるという喜びではなく、社会や物事の見え方が変わり世界が開けてくる快感のようなものだ。目からうろこが落ちるような快感で、私の目には何枚のうろこがあるのかと思ってしまう。
ちょうどこの原稿を書いているとき、岡山のDHから、この4月から通信制の大学で勉強することになったと、またまたうれしいFAXが送られてきた。どうも、DH仲間の間で、「学び菌」による感染症が増えつつあるようすである。この年で感染すると一生治ることはないだろう。
子どもの頃は勤勉だったのに今はイヤ、とおっしゃる人は、それは似て非なる「学ばされ菌」だったのかもしれない。