なだいなださんは、「権威」や「権力」より、人間の<常識>を大切にした。
この<常識>は「皆で渡れば怖くない」というような、
私たちが日常に軽く口にする常識ではない。
内橋克人さんは、なだいなださんが信じた人間の常識を次のように語っている。
専門家の知ではなっく、人々の磨き上げられた「常識」こそが人間を解放する。
この「常識」をなだいなださんは<コモンセンス>と言っています。
著書の『権威と権力』は、アナーキストの理想を描いたものだったそうです。
「権威」による支配・「権力」による強制もなく放っておいたら、
人間はとんでもないことをすると多くの人は思っている。
しかし、なだいなださんは医師としてアルコール依存症の患者さんと関わった経験や、
先人の知恵を通じて、人間はそこそこ自由にしてもなんとかやっていけるもんだと
考えるようになったのです。
「人間は、自主的に自分たちのコモンセンスを使って、自分たちの生き方を管理することができるんです。・・・大部分の人は、法律を知らなくたって、罪を犯したりはしないものです。」と言うように、なだいなださんは人間を信じている。
このような人間に働く、行動を促す感覚。
なだいなださんが<コモンセンス>と呼んだ、
人間の感覚を働かせることを、
ナイチンゲールも看護を担う女性たちに求めたのではないでしょうか?
『看護覚え書』では、<コモンセンス>を働かせろということが何度も言われます。
ナイチンゲールは『看護覚え書』で、人々を看護する人間に最も必要な、
身につけるべき<コモンセンス>について書きたかったのではないかと私は思います。
この<コモンセンス>は、マニュアルではありませんから、
様々な事例を通して感じ、掴み取っていくしかありません。
それが、ナイチンゲールが『看護覚え書』はマニュアルではなく<ヒント>だと
言った意味ではないでしょうか?!
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