精神科医のなだいなださんが亡くなりました。
本名は堀内秀さんで、なだいなだは
スペイン語で「何も無いと何も無い」という意味です。
アルコール依存症の研究の先駆者で、作家でもありました。
社会に対して腹が立っていた若いころの私は、
いつも何となくいらついていました。
しかし、自分のいら立ちの意味がわからなかったのです。
そんな時なださんの本に出会いました。
読むと、得体のしれない私の怒りの意味が書かれているではないか!!
自身のことでありまがら、自分で言葉にすることができないむかつく感覚に、
なださんによって<言葉>が与えられたのです。
怒りが消えるわけではありませんが、その理由がわかるとるとすっきりします。
もう一度読み返したいのは、『権威と権力』 岩波新書
原発事故で<専門家の権威>は揺らいでいます。
「権威」や「権力」によりかからなくても、人間は生きていける。
そのヒントが『権威と権力』 岩波新書 にはあります。
「権力」は、人 にいうことをきかせるときに使われます。
「権威」は、いうことをきく側の方が感じる心理です。
では、人はどういうときに、「権威」を感じ るのでしょうか?
対等ではない関係において、依存者の心理を持っているものが
「権威」を感じると言われています。
親子関係になぞらえることのおい関係で、天皇と国民の関係、神と人間との関係などです。子どもは小さいころ親に「権威」を感じ、いうことをききます。
しかし、子どもが一人前になって親と対等になると、親に「権威」を感じなくなりますから、子どもは親のいうことをきかなく なります。
「権威」の通用しない対等な人間にいうことをきかせるのが、
「権力」だと論じられています。
では、なぜ子どもは「権威」に従うのか。
それは自分が知らないことに対する不安があるから。
つまり、自分の内部にある漠然とした対象のない不安が、
「権威」に 頼る心理を作るということです。
「権力」に服するのは、外側からの力に対する具体的な恐怖感があるからです。
なだいなださんの本は、難しいことを学生に対話で伝えるというスタイルが多いのですが、『権威と権力』も日常の出来事から「権威」と「権力」の違いを論じています。
「権威」とは自発的にいうことをきかせる、
「権力」とは強制力をもっていうことをきかせる。
どちらにしても、自分の頭で考えることを放棄し、判断を人に委ねることになりますね。
自分の頭で考えるためには、
ます<自由>であることが大切なのでしょうね。
朝日新聞の<CM天気図>で天野祐吉さんは、次のように書いていました。
自民党のスローガン「強い国」に対抗できるのは「賢い国」しかない。
そう言っていたなだいなださんが亡くなった。・・・・・
・・・・・・・・「賢い国民は賢い政党を選ぶ」となださんは言った。