八木誠一先生を迎えて、「フロント構造の哲学」を学ぶ

フロント構造の哲学研究会公開講座
八木誠一先生を迎えて、「フロント構造の哲学」を学ぶ

八 木誠一:1955年東京大学教養学部ドイツ科卒、62年同大学院西洋古典学専攻博士課程単位取得満期退学。ゲッティンゲン大学で学ぶ。1967年「新約思 想の成立」で九州大学文学博士。60年関東学院大学専任講師、64年助教授、東京工業大学助教授、75年教授、88年桐蔭横浜大学教授、2000年客員教 授、00-02年ハンブルク大学客員教授。ベルン大学客員教授、名誉神学博士。日本基督教学会理事長、東西宗教交流学会会長。

      日時  2012年9月22日(土)~23日(日) 
      場所  アクトシティ浜松
      時間と会場(1日目と2日目と会場が異なりますのでご注意ください)
      セッションⅠ 9月22日(土)13:30~17:00 
      アクトシティ浜松研修交流センター402会議室(楽器博物館)
      セッションⅡ 9月23日(日)9:30~12:00  
      アクトシティコングレスセンター21会議室                         
      参加費 研究会員2,000円  一般5,000円
          (当日ご持参ください。1日のみの参加でも同額です。)

セッションⅠ 共生
  身体は物質世界の一部であり、生命の一環であり、かつ人格である。人間は、この地球上上で、生態系の一部として、人格共同体を形成しつつ、生きるものであ る。 なお人格とは、コミュニケーションのネットワークのなかで自覚的に自分の仕事を遂行する責任主体のことである。身体は極である。古典的アトム(原 子)のような、バラバラな個ではない。他者とのかかわりのなかで自己同一性を保つ極である。
 ところで「かかわり」の現実性はコミュニケーション である。コミュニケ-ション(ラテン語ではcommunicatio)の原意は互いに必要なものを分かち合う共同体の形成である。人間はもともと働いて生 きるために必要なものを作り、それを互いに分かち合って、共同生活を営むものである。必要なものとは、ものであり、愛情ないしサービスであり、情報であ り、その他もろもろで、コミュニケーションとは相互理解でもあり、意思の伝達でもあるが、単にそれだけのことではなく、生活のあらゆるレベルで与え合い、 分かち合う共同体を形成することである。それは自然界にまで及ばなくてはならない。

セッションⅡ 場所論
 自由な与え合いが社会生活のなかで交換として制度化され、さらに貨幣経済が成立するとき、所有権、契約、違反への罰など(つまり法律)が社会的現実となる。貨幣そのものが価値とみなされ、富が求められる。以上は歴史の示すところだ。
  これは単なる自我達の社会的現実(秩序)の世界だが、この世界は人間が自我で有る限り、むろん否定されうるものではない。しかし、このような社会的現実 (言語化された世界、仮想現実としての人為的秩序)の根本に統合化(根源的コミュニケ-ションの世界)の働きを認めなければ、人間は肉体からすら浮き上が り、影のように実在性を欠いた単なる自我となって、欲と計算に明け暮れ、世界を収奪・破壊し、膨大な富をかかえたまま枯渇するだろう――人類はこの地球上 でせっかくここまで宇宙的にみても極めて稀に違いない歩みを進めてきたというのに。
場所論とは、超越は個物がそこに置かれている「場」であり、個は超越の働を宿す「場所」である、このような個は統合体(*「私の基本思想」参照)と形成すると解する哲学的学である。

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本当の生き方
『本当の生き方』講談社現代新書
『フロント構造の哲学』法蔵選書

フロント構造について、読みやすいのは『本当の生き方』講談社現代新書だと思います。
私がフロント構造について最初に手にしたのは、『フロント構造の哲学』法蔵選書でした。
しかし、日本語であるにもかかわらず、よくわからなかったのです。
そこで、『本当の生き方』を読み、再度『フロント構造の哲学』を読んでみるとずいぶん
分かりやすかったです。この手の本に慣れない方(私、今も慣れませんが)は、
『本当の生き方』から読むことをお勧めします。

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